髙橋美貴個展「Limbo-辺獄-」インタビュー
髙橋美貴個展「Limbo-辺獄-」特別インタビュー
2017/07/20~8/6の期間で個展を開催中の髙橋さんは、長年ゲームクリエーターとして活躍してきた確かな技術力と、卓越したイマジネーションで、心的現実と世界の中を揺らぎながらも、永遠の静寂と忘却のかたちを描き出してきました。
その創作に関して、髙橋さんにお話を伺いました。
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ヴァニラ画廊(以下:V) 今回初めての個展という事で、先日会場にご家族の皆様がお見えになっていた際に、昔からこういったものを描いていたとお伺いいたしました。
髙橋美貴(以下:T) こういったもの…笑 物心が付いたころから、絵を描いていた記憶はあるのですが、描いているものは全く意識していなくて、幼い頃は普通に漫画やアニメ等を真似して描いていました。今でもメーテルは何も見なくても描けます。笑
ただ、小学生の頃自宅の隣が本屋さんでよく通っていて、礼儀的に立ち読みはできなかったので、おこづかいを握りしめて、漫画の単行本の表紙を真剣に吟味して選んだのが魔夜峰央先生の『ラシャーヌ!』でした。
魔夜峰央先生の絵に心惹かれるものがあったのだと思います。『ラシャーヌ!』もその後に買った『パタリロ!』も怪奇ものではなかったのですが、たしか『ラシャーヌ!』の巻末に『二口女』が載っていて、それにすごく惹かれたのも覚えています。
V 数ある単行本の中から魔夜峰央先生を選ぶという、審美眼!
髙橋さんの原点がそこにあるのかもしれませんね。
その後、高校から美術を専攻されたという事ですが、本格的に美術を学ぼうと思ったのは何かきっかけがあったのでしょうか。
T 祖父が彫刻家で(注1)、一緒に住んでいた頃は自宅にアトリエがあり、毎週一緒に日曜美術館を見て、祖父が読み終わった芸術新潮等を読んでいました。
その影響で、当たり前のように自分の進学する道は美術だと思っていました。
今は閉校してしまったのですが、都立芸術高校に入学し、当時は日本画を専攻したいと思っていたのですが、祖父から美術を職業にする難しさをアドバイスされ、デザイン科に進むことになりました。
実際、デザイン科では色々な事を教えてくれ、油彩から彫刻まで幅広く学ぶことができました。
V その後は武蔵野美術大学のデザイン科に進学されたのですね。
T やはり高校時代に学んだことを中心に、その上でデザインや広告の分野にも強く関心を持っていました。同時にCGの面白さにも触れ、引き続きデザイン科を選びました。
アルバイトではデザイン事務所でMacを使える所を選んだり、新しい技術を色々と学びました。
大学では、多少ですが、映像制作なども行っていて、その中で色々とダークテイストなものを制作していました。
当時マックス・エルンストの『百頭女』に影響を受けて、そういったモチーフのコラージュを制作して動かしていました。
V モチーフの選び方が、実に高橋さんらしいですね!
T 暗いものを…笑
実際、アングラ系の同級生がすごく気に入ってくれて、その映像作品は最終的にはドイツの映画祭まで旅立っていきました。
V その映像作品は是非拝見したいです!
その後はゲームクリエイターとして就職し、様々なゲームの制作に関わってきたとの事ですが、いわゆるダークテイストなものが多かったのでしょうか。
T いや、仕事なので、ダークテイストのみという事はまるでなく、様々なジャンルを制作していました。
ホラーをやりたいというこだわりはまるでなくて、『サイレン』に関わったのも、たまたま自分のスケジュールが空いていて、ホラーゲームを作っているチームの仕事に関わったという形です。
ただ、幸運なことに、一番初めに描いた屍人が、ディレクターの求めていたものだったという話です。
V 屍人は本当に恐ろしかったです。全世界にトラウマを残した作品だと思います…。
当時はお仕事と作品制作を共にやっていた形でしょうか。
T いや、社会人になってからはオリジナルなものを作って発表するという事はしていなかったです。
特に『サイレン』を制作していた時は、そこで自分の表現としては満足してしまった部分があるのかもしれません。
ただ、その後の仕事でホラー的な要素のあるものがあまり無く、何となく寂しい気持ちになって、漠然と絵を描いてみようかなと思いました。
V オリジナル作品は当初CGで描いていたのですね。
T そうですね。仕事でCGを使用していたので、その流れでCGで描いていました。ただ、展覧会などに出品する際に、どうしてもアナログで描いた作品の方に力強さを感じてしまいました。
V そこから鉛筆で制作を始めたという形でしょうか。
T アナログで描く際に、当時一番使っていたのが鉛筆だったので使いやすいということと、気軽に構えずに描けたという事から使っていました。
「夜明け前」鉛筆画
そしてその後、日本画を習い始めました。
高校のデザイン科で唯一授業が無かったのが日本画で、どういう絵を描いていこうかと振り返った時に、自分が影響を受けていたのは日本画が多かったからです。
「私は何処へも行ける」絹本着色 黒箔
V 実際にどういった作家に影響を受けていたのでしょうか。
T 竹内 栖鳳や、甲斐庄 楠音には強く影響を受けました。先ほどお話したのですが、祖父と一緒に見ていた日曜美術館の甲斐庄特集の時には、何だこの画家は!って。笑
V 今回の個展では、CG作品から鉛筆画、そして日本画まで多彩な作品が揃っていますが、根底にあるテーマは一貫していて、甲斐庄 楠音の根底にある澱のようなものと、髙橋さんの作品には何か通じるものがあるように思います。
T 何かしらずっと頭の中にある場所を描いている感じです。
今回リリースでメインに使用した「辺獄₋Linbo-」も、こういった場所に揺蕩って、こういう景色を見ているイメージがずっと頭の中にありました。
「辺獄₋Linbo-」鉛筆画
V これはこの巨大な頭の持ち主の視線から見ているような感覚でしょうか、それともこの不思議な光景を外から見ているようなイメージでしょうか。
T 不思議なことにどちらの目線もある感じです。
個展を開催するにあたって、自分はずっとこの世じゃないもの、でも天国でも地獄でもなく、罪や救いがある神様がいる世界ではなく、誰からも裁かれない心地が良い自由な空間を描きたかった。
V よく髙橋さんの作品は死のイメージやダークなモチーフが多いイメージがありますが、それがネガティブな形ではなくなぜか心地よく、不思議なことに恍惚さえ感じますが、今のお話を伺い、合点がいきました。
T 明るい、暗いという事ではなく、清濁全てが混ざり合って溶けていくような、境界線を越える表現を今後も続けていきたいと思っています。
(2017年7月21日)
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注1髙橋美貴さんの祖父は、彫刻家の赤堀信平氏
「朝、雷鳴」Photoshop
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髙橋美貴プロフィール
東京都生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。
ソニー・インタラクティブエンタテインメントにアーティストとして在籍。
日本を舞台にしたホラーゲームシリーズで屍人・闇人のデザインに携わる。
2014年よりオリジナル作品の発表を開始。同年Behance Wacom賞受賞。
2016年 ヴァニラ画廊大賞展参加、幽霊画廊Ⅲなど