真珠子展「リボンヶ丘」~もしもし、子どものわたしへ~ 特別インタビュー
vanilla-gallery (2013年11月29日 15:32)
2011年の個展に続き、2度目の展覧会の開催となる真珠子さん。
今回の展覧会は「もう一度抒情を考える。」と、そこから展覧会の構想がスタートいたしました。
そして一面に野生のリボンが咲き乱れるリボンヶ丘が再現され、観るもの全てを圧倒するような個展会場となりました。
この空間を作り上げた真珠子さんに、この展覧会に付いてお聞きしてみました。
V:イベントも終わり、展覧会もいよいよ今週末までですね。
今回の展覧会出品作品について教えて下さい。
真珠子(以下真):展覧会のオファーがあり、今何を制作するか、という事は自分の中で立ち止まって考えたい事でした。
描く事は日常の中で、頭の中にイメージが出てきたら描いているのですが、頭の中を整理して、今一番何が描きたいか今一度考えてみました。
私はここ10年の間で作品がどんどん変化していて、それはタブロー作品だけではなくて、映像も含めてです。
今会場で流している昔制作した映像作品は全て私が声をあてているのですが、それを言うと皆驚くのです。
声まで変わっているって(笑)
今年の夏に寺山修司の展覧会を見に行って、その時に自分が忘れていたことを色々と思い出したのです。
寺山さんが好きだったこととか、竹久夢二が好きだったこととかですね。それで自分の事を振り返りたくなったのです。
自分が何に感動したのか、何を伝えたいのか、どのように自分が変化をしているのか、ずっとつけている日記を読み返してみました。
そこに昔大人になった時の自分に宛てて書いていた手紙を見つけたのです。
その手紙を書いてくれた小さい頃の私に対する返事を書きたいと思いました。リボンヶ丘を見せてあげたいと思ったのです。
V:それでこのインスタレーションが誕生したのですね。圧巻の光景なのですが、中に足を踏み入れると非常に落ち着くという...
真:皆が座ってピクニックできるような、寝転がって手紙が書けるような場所ですね。
V:また、この咲き誇るリボンの数には圧倒されました。
真:リボンは私の心です。いつもリボンをテーマに制作をしていたのですが、心の中でリボンが野生化してきたのです。
昔は畑で丁寧に水を与えたりしてリボンを作っていたイメージなのですが、今回はどんどん野生化して群生して、丘に咲き乱れたのです。
最初はこのリボンも型を作って制作しようかとも思いましたが、1点ずつ心赴くままに形作る方が気持ち良い線で制作する事ができました。
V:リボン一つずつに、その時々の真珠子さんの気持ちがつまっていて、一つ一つ見ていくのが楽しいです。
これはとても女性的なリボンだな...とか(笑)これは自己主張が強いな...とか。
真:制作においては偶然性を大事にしています。何が出来上がるかわかっててつくるものほどつまらないものは無いと思っています。
今回制作したこのリボンの線がとても気持ち良くて、これはずっとライフワークとして作っていきたいと思いました。
V:今回は今まで書き溜めていた日記も一部公開していますね。
真:36年分!(笑)読み返してみると当時から自分を客観視している子どもでした。
外から変わっていく自分を眺めるのが好きだったのだなと思いました。
それで、外から見た記録・資料的な意味で、「真珠子37才」という今回展示した作品と、写真を盛り込んだ本を制作しました。
これから38・39とずっと続けていきたいですね(笑)自分でもどんな変化があるか、楽しみです。
V:会期半ばのイベントもとても盛況でしたね。
真:イベントの時には私がしっかり司会をして、ヴィヴィアン佐藤さん、祖父江慎さん、レディシロウさんの、お姉様から色々とお話を引き出さなくてはと、事前にかなり準備をしてきたのですが、
お姉様方からは、私の予想をはるかに上回る凄いお話の連続でした。
私はこういった場で、突然難しい事を聞いて、意地悪な質問で相手をいじめたくなるのですが、(笑)
予想をはるかに上回る答えを、それも斜め上の答えをポンと返してくれるのです。
この3人とお話する世間話は、いつも物凄い世間話で(笑)いつかこの世間話を皆に聞かせたいと思っていたので、
お姉様とイベントを開催出来て嬉しかったです。
V:記録も残しているので、いつか真珠子さんとお姉様のトークをお披露目できるといいですね。
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V:話は戻るのですが、展示されている日記にこの展示のテーマのきっかけとなった寺山修司と出会った時のことが記録されていて、それが凄く面白かったです。
真:とても上から目線で寺山さんの事を語っている(笑)
でも寺山さんの詩から生まれた、私の名前の事も今回思い出したのです。
V:そういう意味合いであのページが公開されていたのですね。
是非多くの皆様に、その出会いのページを見て頂きたいと思います。
真珠子さん、ありがとうございました。
「真珠」
もしも あたしがおとなになって
けっこんして こどもをうむようになったら
お月さまをみて ひとりでなみだをながすことも なくなるだろうと
さかなの女の子はおもいました
だからこの大切ななみだを 海のみずとまじりあわないように だいじにとっておきたいと 貝のなかにしまいました
そしてさかなの女の子はおとなになって そのことを忘れてしまいました
でも 真珠はいつまでも 貝のなかで 女の子がむかえにきてくれるのを まっていたのです
さかなの女の子 それは だあれ?
角川文庫「寺山修司少女詩集」より
ヴァニラ画廊内部に咲き乱れる野生のリボン、真珠子展「リボンヶ丘」は今週末11月30日までの開催となります。
是非この圧巻のインスタレーションを体感下さい。
'13/11/18 〜 11/30 真珠子展「リボンヶ丘」~もしもし、子どものわたしへ~
入場料600円ヴァニラ画廊A室
http://www.vanilla-gallery.com/archives/2013/20131118a.html
~もしもし、大人のわたし様~
いかがお過ごしですか?この手紙は時空を超えて、未来の私の元に届くでしょう。
わたしは今、なにを見ていますか?~
子どもの頃、大人になった自分に手紙を書いていた。
~もしもし、子どものわたしさま~
見せてあげるね。大人になるのが怖かったわたしさま。
リボンは、野生化し、群生し、そこは、リボンヶ丘と呼ばれたよ。
真珠子の新作展を開催致します。今回のテーマは「今、もう一度、「叙情」を考える。」
泥方陽菜展「剥離する真夜中」特別インタビュー
泥方陽菜展「剥離する真夜中」
現在ヴァニラ画廊Bルームでは泥方陽菜展を開催しております。10月の人形月間の最後を飾る作家の作品は、どこか虚ろで夜の亀裂から現れたような作品たち。
その制作者の泥方陽菜さんに、作品に付いてお聞き致しました。
◆人形を作り始めたきっかけなどを教えて下さい。
泥方:ずっと絵を描いていたのですが、イラストの総合雑誌に天野可淡さんの作品と与偶さんの作品が掲載されているのを見ました。そこからすぐに人形制作に移行した訳ではないのですが、ずっと絵を描きながらも人形というものが気になっていたのです。
人形のイメージ自体はずっと気持ちの中に持ち続けていました。
油彩で美大の受験を受けると決めて、予備校でデッサンを習っていたのですが、そこでベルメールの写真を見てしまって...。
◆禁断の...(笑)
泥:そう、禁断の...(笑)それからはずっと描くものが全部人形!
◆そこから具体的に独学で人形の制作を始めたのですね。
泥:丁度二十歳くらいから作り始めました。全部が全部独学というわけでは無くて、人形の写真集や展覧会を見ながら、試行錯誤してきました。
◆なぜそこまで人形作品に惹かれたのでしょうか。
泥:人形は見る人の精神状態で具体的に顔が変わってくる部分がとても好きなのです。平面作品も人の精神状態に関わって、印象が変わる事はわかるのですが、人形だとそれが如実に表れるので、とても面白いと思います。
◆今回写真家のクロダミサトさんに撮り下ろしてもらった作品は、本当にその要素が現れていますね。
写真の傍に同じ人形を置いているのに、全く違った印象を受けます。
泥:自分の作品を他の人に撮ってもらったのは初めてなのですが、私もとても驚きました。自分の作品では無いような、新たな発見がありました。
人形の他の魅力として、やはり動いて遊ばせる事ができるというのが大きい魅力だと思っています。
動かすのは私達なのですが、本当に支配されているのはどちらなんだろうと、動かされているのはこちらかもしれないというとても不思議な気持ちになりますね。
◆今回顔の無い(顔からお花が生えている)作品が2点ありますが、これはどのようなイメージなのでしょうか。
泥:今回個展を開催するにあたり、グループ展などでは出せないような作品を制作しようと思い出品しました。私はわりと悪い夢がイメージソースになっていて、この子たちも顔の内側から何か悪いものが噴き出すような夢を見てから制作しました。
その他にも足が変形している人形作品を制作したのですが、こちらは悪いものが足から抜けていく、解放されるようなイメージです。
手先や足先、顔は制作していて楽しいので、イメージを託しやすい場所ではあります。
◆悪夢を自分の中でろ過して、人形に託しているのでしょうか。確かに皆穏やかな顔をしているのに、目をあわせてくれませんね。
泥:どこを見ているのか定かではない表情が好みなのかもしれません。
いつかふと気持ちが通じ合い、自分だけに視線をあわせてくれるような、そんな心に残るような作品を作り続けていきたいと思っています。
泥方さん、ありがとうございました。
今回全て新作という熱のある作品揃い、泥方さんが言うように、全ての作品がその時々によって表情を変えます。
視線をあわせてくれるのは誰なのか、それぞれの作品の前で、その繊細な表情と対話して頂きたいと思っております。
展示は11月2日(土)まで、是非足をお運び下さい。
安蘭展「Dämonisch」(デモーニッシュ)特別インタビュー
「デモーニッシュとはどんな概念にも、ましてどんな言葉にも捉えきれぬようなものである。『神的』でもなく、『人間的』でもない。そして『悪魔的なもの』でもなく、『天使的なもの』でもない。それは『偶然』と『神の摂理』のようなものであり、無意識の領域に働く捉え難い超人間的・超自然的な力により、悟性や理性では解き明かし得ないもののことであり、我らを支配しているものである」
ゲーテのこの言葉のように、現在ヴァニラ画廊A室で開催中の安蘭展で展示している新作は捉えどころのない、何か不思議な感覚を呼び起こします。
あるものは幽玄の彼方からちらりと顔を覗かせ、またあるものは自らの変化(これが醜い変化なのか、美しい孵化なのかはわからない。)を誇るような視線でこちらを見据えます。
全ての作品が収められた空間は、作品それぞれが共鳴をしているような感覚を覚えます。
しかしながら「解き明かし得ないものの事」という言葉に対して、新作が光と祈りに満ちている事は確信を持って感じる事ができるでしょう。
安蘭ミニインタビュー
◆絵を描き始めたきっかけなどありますか?
安蘭:小さい頃病弱で、あまり外で遊ぶことが制限されていたので、その代わりに室内でできる遊びとして絵を描いていました。それから大学で本格的に学ぶようになり、
卒業してから発表するようになりました。
◆一貫して耽美的な作風ですが、こちらも昔から描いていたのでしょうか。
安蘭:そうですね。小さい頃描いていたお姫様から作風は変わっていませんね(笑)ずっと好きなものを描いてきました。
◆安蘭さんが作品を描くにあたって影響を受けた作家さんはいらっしゃいますか?
そうですね...ペンで描くようになったのは、やはりビアズリーの作品の影響が大きいです。
それと大学の頃、友人が学内の図書室で見つけて、私に貸してくれたのが吉田良さんの作品集でした。
それはもう本当に衝撃的で、初めて球体関節人形を見たのですが、それ以来ある一定の期間描くものは球体関節人形ばかりでした。(笑)
(偶然ではありますが、同時期に開催中の展示室Bの愛実さんは吉田先生の生徒さんでありました。)
当時は球体関節人形に関する事も、今のようにすぐに情報を得る事が出来なくて、「マリアの心臓」に行っては人形たちに見入っていました。
この世界が私の中で美しいと認識して、これが表現したいものだと感じました。
美しいだけではない何か、念を感じるというのでしょうか。自分自身が球体関節人形に対峙した時に感じた衝撃のような、言葉には出来ないけれど深く魂を捕えられるような作品を制作したいと強く思いました。
◆今回の作品たちは確かに何かオーラを感じますね。
細かな点描を描いている時などは写経しているような心持でした。(笑
そのような作品を目指しているので、感じて頂けると非常に嬉しいです。
◆今回の展示の見所を教えて下さい。
今回は作品に取り掛かるまで、構想段階がとても長かったのですが、熟考した分それが作品に反映させることが出来たと思います。
今回の作品展から少しづつ新しい表現を取り入れようと思い、色々と挑戦しました。多くの方に足をお運び頂ければ幸いです。
安蘭さん、ありがとうございました。
作品それぞれが共鳴し合うような会場にて、待望の新作をご高覧下さい。
展覧会は10月10日まで、愛実さんの展示とあわせて見逃せない展覧会です。
'13/9/30 〜 10/10 安蘭展「Dämonisch」(デモーニッシュ)
愛実展「release」特別インタビュー
愛実展「release」
等身大の新作は、ゆっくりとたおやかにその肌を腐敗させ、屹立するような足元にはその動きを制限するような仕掛けが施されている。身体からは香り立つような絶望を、しかし、その瞳は全てを受け入れるような優しさと恍惚に満ちている。
現在ヴァニラ画廊で開催されている愛実展「release」、等身大の球体関節人形から大型のトルソ作品、そして今まで作家自身が撮りためてきた写真作品まで、作家の近年の創作活動を俯瞰できる展覧会です。
作家ミニインタビュー
◆愛実さんが人形の制作を志したのは何かきっかけなどあったのでしょうか。
愛実:10年くらい前に東京都現代美術館で開催された「球体関節人形展」を観に行ったことがきっかけです。
「イノセンス」はあまり知らなかったのですが、丁度深夜のCMで展示の事を見て、展示終了間際に観に行きました。吉田良先生の作品に衝撃を受けて、先生の教室を見つけて通うようになりました。
◆愛実さんの作品はいわゆる可愛らしい人形では無く、痛みに満ちた表現が多いと感じるのですが、
最初からこのような作品を制作されていたのでしょうか。
愛実:そうですね...、「球体関節人形展」で観た作品たちは「人形」らしい可愛らしさを追求していくよりも、各作家さんの表現の媒体としての「人形」でした。私も当初からその思いが強かったのでしょうか、一番初めに制作した作品はうっすらとしたブルーの肌の作品でした。
◆その作品も写真で拝見することが出来るのですね。作品写真もご自身で撮られているのでしょうか。
愛実:そうですね、全ての作品を自分で撮っています。制作~写真を撮ってようやく作品が完成するといった感じです。生きていないただのものから、生きものへ変わる瞬間が写真を撮る時だと感じています。
今回はずっと撮りためてきた写真作品も展示しています。
◆今回は初個展という事で、大作揃いですね。見所を教えて頂けますか?
愛実:この展示にあわせて新作3体を制作しました。等身大で手足まできちんと揃っているのは初めてです。
何か新しい事に挑戦したいという思いから生まれた3体です。
自分の色を出しながらも、見てもらう方に通じる言葉を持った作品を制作したいと思っています。
是非色々な方に見て頂きたいと思います。
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愛実さんありがとうございました。
新作・旧作含めてその瞳に魅入られてしまう作品揃い、思わず時間を忘れてしまいます。
ゆっくり時間をかけてご堪能下さい!
展示は10月10日(木)まで、どうぞお見逃しなく!
'13/9/30 〜 10/10 愛実展「release」展覧会B室
沙村広明「無限の住人」原画展特別トークイベントレポート
現在開催中の沙村広明「無限の住人」原画展の特別トークイベントを9月24日(土)に行いました。
今回のイベントはご来場頂くお客様から、事前に沙村氏への質問を頂き、それに答えていくという一問一答形式というもの。様々な質問とその答えの間に浮かび上がってきたのは、技術やセンスを搾り出すのではなく、才能をごく自然に使いこなし、創作を日常としている沙村氏の姿でした。
展示作品をお楽しみ頂くスパイスとしてイベント内容をほんの一部ではございますがレポートいたします。
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◆鉛筆という画材で漫画を書こうと思ったのはなぜでしょうか。
沙村:それは普段一番使い慣れている画材だったという理由です。「無限の住人」の原稿は基本的に鉛筆とピグマと言うサインペンで描いていました。学生の頃はGペンを使っていたのですが、自分のGペンで描いた原稿があまりにヘボくて...その時、学校の先輩にピグマというペンを教えてもらって、それからずっと使っています。
◆背景や人物、動きなどを描く時の資料にしたものを教えて下さい。
沙村:それはあまり無いですね。描く時に設定は作らないようにしています。コスチュームの色とかもまちまちで卍と凛との色くらいしかあまり決まっていないですね。凶も青だったり紫だったり。
◆尸良というキャラクターをつくるにあたって参考にしたものはありますか。
沙村:何かを参考にしたというよりは自分の回りに足りない要素を描いたようなものですね。単純にこいつが死ぬと、どこかの誰かがスッキリするキャラクターを作ら無くちゃなぁと思って描いたのが尸良ですね。
彼の最期は尸良が好きな人があぁこれも尸良っぽいなと思ってくれることを考えて、あのような形になりました。
◆沙村さんはワーカーホリックであるとお聞きした事があるのですが、一番忙しいときの1日のスケジュールを教えて下さい。
沙村:だいたい朝寝て昼の14時くらいに起きて夕方頃にアシスタントの子が来ます。そして深夜1時とか2時に帰ってもらうみたいな生活ですね。アシスタントの子は今1人です。だらだらとやっているので全くワーカーホリックではありません。
◆「無限の住人」では絵の展開が実に映画的なカメラワークだと感じました。映画の研究などはされているのですか。また好きな映画はありますか。
沙村:映画はほとんど見ていないですね。学生の頃にアクション漫画を見ていたことはありますが、あまり何かを見て勉強をしたりしないですね。映画の好みでいうならわりと静かな映画が好きです。一番好きな映画は『バベットの晩餐会』です。自分の漫画でいえば「無限の住人」よりも他の漫画の方に映画が影響を及ぼしている様に思います。
◆「人間椅子」さんが出された「無限の住人」のコンセプトアルバムと、その中の「刀と鞘」をシングルカットにしたCDの絵をとても好きなのですが、あの絵を描いた時の事やアルバムについての思い出を教えて下さい。
沙村:あれは企画で日本家屋を借りて、女性のモデルさんに描いたのですが、2時間で描くというところ4時間もかけてしまいました。人の肌に描くことは本当に難しくて...それでもモデルさんはのんびりとやって下さったのですが、僕は後ろで悪戦苦闘していました。
◆卍と凛の呼び方が互いに変わっていきますが何か意味はありますか。
沙村:単純に距離の近さを出したかった為ですね。
◆本当はもっと早く退場または死ぬはずだったのに予定と違って活躍してしまったキャラクターはいますか?
沙村:最初の予定では百凛は死ぬはずだったのですが、担当さんにその話をしたら、あれだけ酷い目にあっているのだから、彼女は死なずに終わらせてあげようと言われました。確かに考えてみれば死ぬ必要がないなと思いましたね。それで反省して生かすことにしたのです。後は尸良がもっと早い段階で死ぬ予定だったのも以外に最終章まで引っ張ってしまいましたね。
◆卍が現代まで生き延びている可能性が高いと思われますが、外伝かなにかでその後の活躍を描く予定はありますか?他の作品でも登場するなんてことがあったら教えてほしいです。
沙村:「無限の住人」現代編にはならないとおもいますが、卍はどこかでまた描けたらなと思っています。
◆無限の住人のキャラクターのなかで一番好きなキャラクターは誰ですか。
沙村:女性で言えば百凛かなぁ。
◆一番思い出深い対決はなんですか。
沙村:尸良と卍の最後の戦いでしょうか。自分が好きなシーンは凛が一人で関所を通るシーンです。
あのシーンは関所という所はこういう感じだろうと思って描いたのですが、後で資料を見返すと、出口も入り口も間違っていて唖然としました...。
◆ 数多く考案されてきた武器の中でのお気に入りはなんですか。
沙村:デザイン優先で考えると槙絵の三味線の形をした武器は考案した20代の頃、自分は凄いものを考えたとか思っていたけれど、あれは鳴るわけがないですよね...(笑)どれが一番好きかと言われたら、偽一の持っている手錠みたいなやつが好きです。
◆漫画を描いている上で楽しいシーンまた苦手なシーンはどういったところですか。
沙村:蒔絵の戦闘シーンは楽しかったですね。(今展示で展示中のシーンです。)
苦手なシーンは少年を描くことですね。少年と言わず子供を描くのが非常に苦手です。
◆妹派ですか姉派ですか。
沙村:そこは姉ちゃんですね。(笑)妹がいるからかもしれませんが。若い女の子を描くのも苦手なのかもしれません。まぁ、凛も後半になってくると顔がすっかり老けていますけれども。(笑)
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無限の住人の特徴でもある繊細な鉛筆画やアクションシーンでの人物の動き、構図など作画について、お客様からのご質問が多数ありましたが、氏の答えは気負ったものではなく、私達にはどうやったら描けるのかわからないと思われるような作画も、いたって普通に、息をするように描いている印象を持つ答えでした。
また、作品の内容そのものについての質問では、言葉で説明するのではなく作家の伝えたいことは作品で語り、伝わらなかったのであれば自身の責任である、という姿勢が、真摯さや作家としての自身に対する厳しさが伝わって参ります。
しかし話が登場人物へ及ぶと、19年描いてきたキャラクター達への特別な思いを強く感じられる場面もありました。生みの親の心持が伝わってくるような温かで面白い制作秘話に、参加者の方の心も一つになるような凝縮されたイベントとなりました。
今回の展示ではデビュー作から無限の住人最終巻までの原稿が一挙に展示してあります。これは単なる一つの漫画作品の展示ではなく一人の作家の十九年にわたる創作の思考の展示とも言えるでしょう。そういった意味でもあらゆる創作に関心のある方にも刺激を与えるような展示内容です。
原画の各シーンの躍動感と臨場感は凄まじく、細かい鉛筆の動きと、筆圧に圧倒されること間違い無しの展示となっています。カラーから鉛筆画、またトークショーの時に描き下ろした作品も会期終了まで展示を行っております。会期も残りわずかとなりました。沙村氏の画業を是非間近でご堪能下さい。
(2013年9月7日(土)まで)
ヴァニラ画廊(スタッフレポート:関浪、染谷)
※イベント中に描き下ろした作品は会期終了まで展示いたします。
MELANIE PULLEN メラニープーレン 写真展
メラニー・プーレン(1975年生まれ)はアメリカを拠点に、世界各地で活動を続ける写真家です。
独学で試行錯誤の中で写真技術を学び、「High Fashion Crime Scenes」シリーズを発表、センセーショ ナルな反響を巻き起こしました。
このシリーズはニューヨーク市警およびロサンゼルス市警の犯行現場ファイルに基づく100枚を超える写真からなるメラニーの代表作です。自身について、「偶然」を大事にしているが、実際には「気が狂いそうになるまで自分自身を追い込む」完全主義者である、と語るメラニーは、このシリーズを 制作するにあたり、作品ごとに80名近いスタッフとモデルを使用し、時には1作品に最長で1か月かけて制作を行いました。衣装とアクセサリーには1300 万ドル以上をかけ、煌びやかなハイブランドを散りばめ、犯罪現場を(多くはその被害者と共に)再構築する事によって、バイオレンス・イメージを容易に受け 取る私達に、暴力の本質とは何かを深く問いかけます。
今回はその「High Fashion Crime Scenes」シリーズと特製本を日本で初めて展示販売致します。
【死体への想像力】 飯沢耕太郎(写真評論家)
メラニー・プーレンの「ハイ・ファッション・クライム・シーンズ」はとても興味深い写真シリーズだ。この作品の元になっているいわゆる犯罪現場写真は、警 察に属する専門カメラマンによって、19世紀以来大量に撮影され続けてきた。だがこれらが、単純に証拠を保存するためという理由だけでなく、むしろわれわ れの本質的な「見たい」という欲望に応えるために撮影されてきたことは、1980年代以来、この種の写真のアンソロジー写真集が多数刊行されていることで もわかる。ではなぜ、われわれは犯罪現場写真に惹かれるのか。端的にいえば、それはそこに死体が写っているためだ。
死体は非日常の極みであるだけでなく、それ自体が不思議な吸引力を秘めている。いうまでもなく、メラニー・プーレンもそれに魅せられた一人だ。彼女はこ の作品の制作の動機について、写真集のあとがきに面白い話を書いている。プーレンは子供の頃、自然写真のコンテストの審査をしていた祖母の部屋で、一枚の 写真を見せられた。コンテストの最高賞を受賞したその作品には、雪原と樹以外には何も写っていないように思えた。ところが、写真をよく見ると、樹に向かっ て続いている小さな動物の足跡が、ある場所で不意に途絶えている。つまりそこには、猛禽が動物を襲い、殺すという見えないドラマが秘められていたのだ。
この「見えないドラマ」を見出すという想像力こそが プーレンの写真制作の鍵になっていることは間違いない。彼女が丹念に仕組んだ殺人現場には、必ず何 かもっと複雑で、表にはなかなか現れてこない物語が埋め込まれているのだ。それをあたかも推理小説のように読み解きつつ、モデルたちが身に纏う、洗練され た「ハイ・ファッション」を愉しむことができれば、これに勝る極上の視覚的体験はないだろう。
【メラニー・プーレンプロフィールMELANIE PULLEN 】
1975年ニューヨーク市に生まれる。現在ロサンゼルス、カリフォルニア州在住。
ニューヨークのウェストビレッジで育ったメラニーは、Audubon Magazineの写真エディターでありThe Guilfoyle Reportの創設者でもある祖母アン・ギルフォイルから影響を受け、(メラニーが子供の頃、家族には作家、出版業者、詩人、画家がいた。70年代から 80年代には、幼年期の 家にAndy Warhol, Allen Ginsberg, Emily Glen, Shel Silversteinらが頻繁に訪れていた。)10代で最初のカメラを手に入れる。その後は独学で様々な刊行物、雑誌、カタログ、レコードレーベル用に 写真を撮り始め、Beckの2004年のアルバムGueroおよびThe Informationを手がけているほか、Devendra Banhart、JoannaNewsom、Rock Kills Kid、The Black Keys等数多くのミュージシャンの写真を撮り下ろしている。
High Fashion CrimeScenesシリーズ・violent timesシリーズにて、アメリカ国内外で幅広く個展・グループ展を開催している